<宗徧流四方庵(そうへんりゅうよほうあん)>の流祖は、千利休の孫・千宗旦の四天王として知られる山田宗徧です。
千宗旦は、吉田藩(愛知県豊橋市)藩主の茶頭への要請に山田宗徧を推挙しました。
その縁で、小笠原侯義弟の新城藩(愛知県新城市)藩主・菅沼定実(さだざね)侯からも、指導要請がありました。
宗徧指導の下に、菅沼定実侯は大変熱心に茶に励み、城内に茶室を作り、
さらに菩提寺<宗堅寺>にも茶室<紅葉庵(こうようあん)>を作りました。
江戸時代、17世紀の事です。
宗徧は四方庵を弟子菅沼侯に譲り、その後<宗徧流四方庵>は代々高弟に受け継がれ、
2021年、9世家元佐藤華香の庵老就任に伴い、10世廣瀬青香に至っております。
<宗徧流四方庵>は、利休古来の茶筅を使う数少ない流派の一つで、流祖山田宗徧の行った点法を、今日まで伝承し乱す事なく後世に伝えていく事を門人一同心がけ精進しています。
山田宗徧が口述し、吉田藩小笠原家中の津田六郎兵衛・山中七兵衛らが筆記したと
言われる本に、「茶道便蒙抄」があります。
利休百年忌を迎えた年に刊行されたと言われています。
宗偏は、多くの門人に千宗旦直伝の侘茶を伝えました。吉良上野介は茶友の一人と言われています。門人大高源吾や義士討ち入り前夜の吉良邸茶会の話等が有名です。
菩提寺宗堅寺茶室<紅葉庵>は、明治時代に入り廃仏毀釈で壊されましたが、その後平成2年に、宗堅寺や新城市関係者及び、宗徧流関係者の協力で復元されました。
宗堅寺では、毎年菅沼定実侯の命日11月4日に、宗徧直筆の扁額を掲げた<紅葉庵>を使用し、法要茶会を行っています。
「利休形」茶筅
九世佐藤お家元よりご指名をいただきました廣瀬青香と申します。
歴代のお家元ご偉業を顧みるにつけ、身が引き締まる思いです。
今この時期にこの未熟な私にご指名をいただきました意味を考えると、その答えはただひとつ、四方庵の長い歴史を未来に継いでいくことと絶やさないことであると思いました。
皆様と一緒になり、四方庵の永遠を担保できる為に色々な角度から実践をして参りたいと思います。
皆様どうぞよろしくお願い申し上げます。
宗徧流四方庵
十世 廣 瀬 青 香
2024.08.01
会員ページの記事を更新しました。
2021.06.27
十世家元挨拶を掲載しました。
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2016.10.06
公開教室・シビック庵の初回お稽古を開催いたしました。
2016.09.12
一般社団法人 宗徧流四方庵 ホームページを開設いたしました。